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【パートナー】Nobuo Fukuda - 日本食材クリエイター

映画:Kakehashi: A Portrait of Chef Nobuo Fukuda
本編:https://vimeo.com/182023749
受賞:ジェームズ・ビアード財団賞 南西部ベスト・シェフ賞等

海を渡った日本人

私がFukudaさんと知り合ったのは、コロナ禍であった。彼は、アリゾナのリゾートホテル向けに高級食材を探して来日していた。まだアメリカで知られていない、そして本当に良いものを日本に求めて。
時味は、まだ知られていない、出会って欲しい逸品を皆様に届けたいとの想いがあるため、大変共感した。
その縁もあって、上越地域にも彼の所属の副社長と共に足を運んでもらい、時味の取引先はじめ、いくつか酒蔵や生産者を紹介したのが懐かしい。
アメリカの経済状況が大きく変化したことで、残念ながら彼が開拓した日本の食材が海を渡ることはなかったが、いつか必ずと今も挑戦を続けている。

創作料理

彼は日本と現地の食材を使い、絶妙な一品を創作する。度々コミュニケーションを取る中で気づいたのだが、彼は日本料理のシェフではなく、独自のメニューを顧客に提供するスタイルである。逸話として、日本でも安くはないのどぐろを輸入するとさらに価格が高くなるため、彼はすべての部位を調理することにチャレンジ。先生や先駆者はいない。あくまで顧客が美味しい、楽しいと思うことを全てのポリシーとし、完全食ののどぐろは完成した。当然、高い評価を得て彼の名前は広がる。

過去から現在

東京生まれのFukudaさんは、1980年代まだ成人したかしないかの歳であったが、単身渡米。一流の料理人(彼はこの言い方を嫌がるが)のキャリアに興味が湧き、アメリカに渡った理由を聞くと「なんとなく日本に息苦しさを感じていたんですよね。料理とかその時は興味がなかったですよ。アメリカで最初に働いた場所が日本料理店でした」だそうだ。
もともと、彼の夢は雪山の警備小屋の警備員。得意なスキーを活かし、人々の安全を守ること。
実際に数年間従事していたが、お子様を授かったことで危険のない生活にシフト。また料理の道に舞い戻った。そこから彼の快進撃は始まる。
分岐点としては、自身のレストラン「ティーターハウス」を開業し、多くのファンを得た。また同時に様々なイベントにも呼ばれたり、ジェームズ・ビアード財団賞 南西部ベスト・シェフ賞など、評価を得る。
ただし、彼は言う「僕なんて大したことはない。ただ目の前のことを一生懸命考えてベストを尽くしてるだけ」。
その後、レストラン「ティーターハウス」を閉めて、アリゾナのリゾートホテル向けの高級食材卸企業にヘッドハンティングされ、現在は食の経験と技術を使って、伝統的なモーテル(米の車長距離移動時に利用するホテル)の再建などを手がけるプロデューサーとして活躍している。もちろん今でも「現場」で手腕を奮っている。

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